石橋正二郎 人生哲学Life Philosophy
石橋正二郎は、自伝として「私の歩み」、「回想記」、「我が人生の回想」を残しました。小島直記著「創業者・石橋正二郎」によれば、正二郎は自伝の口述筆記の際、メモの紙片を手に述べ続け、入念な推敲を繰り返したといいます。その文章はあくまでも簡潔さをめざし、修飾による冗長(じょうちょう)を極力避けました。正二郎が選り抜いた一語一語。その自伝や好んだ言葉から、正二郎の人生哲学を読み取ることができます。
最高の品質で社会に貢献
1968年(昭和43)、石橋正二郎(当時・会長)の指示で社是(しゃぜ)が制定されました。
げんきに学んで正しくすすむ
荘島小学校を卒業した正二郎は、「げんきに学んで正しくすすむ」という言葉を母校に贈りました。
正二郎は「私の歩み」の中で、「私は小学校には6歳で入学したが、体が虚弱のため欠席がちで、ロクに運動もできなかった」と述べています。
久留米市立荘島小学校は、この言葉を教育目標に設定しています。
熟慮断行(じゅくりょだんこう)
私は実業に携わって65年、足袋専業、地下足袋創製、自動車タイヤ国産、合成ゴム開発、LPG開拓、と絶えず新しい事業を手がけてきた。幸い事業は繁栄をみるに至ったが、これには決断がいかに重要かを痛感する。
人は必ずその生涯に、進退、左右、得喪(とくそう)を決する二者択一(たくいつ)の岐路に遭遇する。このとき、よく事の本末、緩急(かんきゅう)を勘案(かんあん)し熟慮断行することが大切で、妄動(もうどう)或いは逡巡(しゅんじゅん)して機を逸し、断を誤ってはならぬ。
「石橋正二郎会長随想集」より
千紫萬紅(せんしばんこう)
色とりどりの花が咲き揃い、撩乱(りょうらん)たるありさまは実に平和で明るい。それは巧(たく)まずしてなれる自然の姿であり、神の摂理が感じられる。世の中も、人それぞれが分を尽し処をうるならば理想的といえよう。私はこの言葉が好きで、昨今揮毫(きごう)を求められてこれを筆にすることが多い。
「石橋正二郎会長随想集」より
楽山愛水(らくざんあいすい)
私はこれまで造園を趣味としてきた。しかし庭造りの技法に格別詳しいわけではない。ただ、美しい自然の景観に接すると身心が浄(きよ)められるように感ずるので、限られたなかに樹を植え、石を蒐(あつ)め、土を盛り、水を引いて自然の姿をここにあらわし、これが年と共に趣の生ずるのを楽しみにしている。
古語に、知者(ちしゃ)は水を楽しむ、とあるが、石橋文化センター内に建造中の日本庭園もこの程完成し、その池畔の建物に楽水亭と名づけた。これは私の最近の喜びである。
「石橋正二郎会長随想集」より
若い人びとに
人間は学問することによって天性の才能と知恵がみがかれて、知識も広くなり、ますます良い仕事ができるようになる。人間完成のためにも、職業につくためにも学問は必要である。しかし、学校へ行かぬと学問はできないとか、また学問だけが人の運命を左右するなどと思い過ごしてはならない。世の中は日々が学問である。心掛け次第で学歴もない人が大学卒以上の人となる。大学出だからなどと自惚れるようであれば学問は邪魔ともなろう。こういうことをよくかみわけて、家庭の事情なりあるいはいろいろのことを考えて世の中へスタートすることが大切である。
「回想記」より